メモ プラザ合意後に円高、バブル経済へ、原因は米の貿易赤字だった
プラザ合意 1985年
結局アメリカのわがままで為替変更させられた。貿易赤字を減らしたいというのは昔からだったようだ。当時日本の一人勝ちだったのかもしれんから、先進国から日本がいじめられた感じなんだろうか?特にアメリカとしては、子分の日本が経済発展してんのに、親分が損してるのが気に入らんかったんだろう。
>バブル崩壊と最初記載してたけど、バブルがここから始まったようだ、勘違いしてた
円高下落が止まるまでに、2,3年という長い年月がかかった。なお協調介入だけが円高原因ではなく、低金利政策で企業は低金利で金を借りることができて資金は潤沢になり、バブル崩壊(円安に動きそうだけど)が更に加速させたようだ。ここからバブルが始まったみたい(当時は学生だったし親は公務員だったから華やかなバブル経済を体験してない)なので、もし急激に円高に動いた時に予想以上の下落をしたときは損切りが必要。いつまでも戻るとか半値戻しとかを期待すると痛い目にあう。>このときにFXやってなかったけどな。
しかし、仮にこの1985年以降にロング保有していたらスワップでかなり利子がついた計算になるから金持ちだったらいまでも利益がでただろう。
1985年9月以降のドル円
プラザ合意 なぜ 受け入れた
アメリカ、他の国に押し切られたから。子分の日本は言いなりになるしかなかった。
結論
当時の日本経済が上昇していて、円安を是正するくらいで日本経済が低迷するとは思っていないし、円安から円高に急落した未来経済を予測できなかった。また為替操作になって急落した後に、円安にする契約を各国としていなかった。不動産バブルで儲かった人はいたし、悪い面ばかりではなかったはず。しかし、株価急落、不動産価値の急落が問題で、緩やかな経済停滞のための政策をしなくてはならなかったのに、急にはしごを外して蹴落としてしまったのがまずかった。せめてはしごをそのままにして出口を絞るくらいにすればよかった。
さすがにはしごはされたら、骨折して重症化して、その後死んでしまった。
1984年の日本経済
「1984年の日本経済は、海外経済の回復に牽引されて景気が回復した年でした。
【1984年の日本経済の状況】
- 消費者物価上昇率は5%前後に落ち着いていた
- 日銀が15年ぶりに新札3種(1万円札、5000円札、1000円札)を発行した
【1984年の海外経済の状況】
- 米国の年平均成長率は1955年以来の高い伸びとなり、対米輸出の増加を促した
- 欧州、大洋州などの先進諸国でも景気回復が促された
- 非産油途上国の経済成長率は5.3%と3年連続の低成長から回復に転じた
- 中南米諸国、アフリカ諸国が前年のマイナス成長からプラスに転じるなど回復をみせた
- アジア諸国でも伸び率がやや鈍化したものの引き続き好調であった
」